こんにちは、JoATech代表の伴地です。
新年度のタイミングで、教室の新しいポスターを作成しました。今日はそのとき起きた、ドキリとした出来事をお伝えします。
うちの教室では、完成したポスターを生徒にも見てもらっています。「ここはどう思う?」「自分ならどう変える?」という話を一緒にするのが毎年の習慣で、毎回いい気づきをもらえます。
今年も同じようにポスターチェック。「最近は生成AIで画像も作れるし、Canvaも使えるし、便利な時代になったよね」という話の流れで、とある小学生がこう言いました。
「生成AIで作られたポスターとかチラシって、見た瞬間に行く気なくなるんですよね。もうありきたりだから。こないだニュースで話題になってたたまねぎまるごとカレーみたいな感じ。」
……そのポスターの一部に、Geminiで生成した画像を使っていた自分、ドキリとしました。
「なんとなくありきたりに見える」という感覚が、もうすでに子どもたちの中に育っていた。それが正直、少し驚きでした。
最近は、NotebookLMで授業スライドを作って教室で使っている先生も増えています。便利なことはわかります。でも、そのスライドが100%「自分が伝えたいこと」を届けるための最適な資料になっているか——そこは問い続ける必要があると思っています。子どもたちの学びのために、本当に適切な順番と言葉で組まれていますか?
生成AIの便利さと「認知負債」について、このところよく考えています。AIに考えるプロセスを委ねるほど、思考の筋肉はどこかで少しずつ衰えていく。その蓄積が、じわじわと成果物の質や「伝わる力」に影響していく気がして。
なお私自身は、仕事で生成AIをフル活用しています。先週も、AI社員と伴走しながら数日間で知人からの依頼アプリを仕上げ、リリースまで持っていきました。「使う・使わない」ではなく、「どう使うか」が問いだと思っています。
コモディティ化していくAI成果物の時代に、「人の手の跡」が逆に価値を持つようになるかもしれない——そんなことを、小学生に教えてもらった春でした。
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